会報誌(DDKだより)

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2018年04月発行 第287号 DDKだより

巻頭:私たち国民の責任 


青木 正

 先月、あるキャリア官僚の電撃辞任のニュースが日本を駆け巡った。
 森友問題に絡み、国会で一躍有名になった人である。そして、これに関連して当時の現地担当職員の尊い命が失われた悲しい現実も同時に報道された。
 私は、昨年この問題が連日マスコミに取り上げられた時、若い頃テレビで観たある映画を思い出した。石川達三原作の小説をモデルにして映画化された「金環蝕」である。
 もちろん小説の映画化なので、当然まぎれもなく “フィクション” であるが、当時は映画の登場人物を、“あれは誰かな”  “これは誰かな” などと想像を膨らませて観たことを、いまも覚えている。
 時は高度成長時代の真っ只中、ダム建設工事の発注案件で、政治家、官僚、企業の思惑が複雑に絡み合う状況で、ある出来事が工事業者決定に少なからず影響する事態に発展する。
 官房長官の秘書官が工事業者決定権限を持つ “電力公社総裁” を訪問して、一枚の名刺を差し出したことで事件は動く。その名刺の表書き名は “内閣総理大臣夫人”で 、裏面には “○○建設をよろしく” と書かれていた。そして、その後の展開で尊い命が失われてしまうところも今回の経緯とダブってくる。
 官職や権限は無くても、時の実力者夫人のご意向らしいともなれば、無下にはできまい、忖度せざるを得ないのが官僚システムであろう。キャリア官僚は50歳を超える頃に熾烈な本省生き残り競争が始まる。その競争に勝ち残れなければ、外に転出していくことになるのだから。政権交代や首相交代の可能性が少ないとなれば、なおさら時の実力者のご意向を気にしてしまうのは当然だろう。
 しかし、そんな忖度を許してしまった要因は、実は私たち国民の側にあるのではないだろうか。つまり、政権交代や首相交代の可能性が限りなく減少したことにより、権力は集中し、日本の将来を担うという志を持った優秀な官僚が、時の実力者の顔色を気にして仕事をしなければならない状況を、我々国民が知らず知らずのうちに作り上げてしまっていたのだ。
 いま、私たちはこのような状態を生み出してしまったことを省みて、この国が今後より良くあるために何をすべきかを、しっかりと考える時期に来ているのではないだろうか。今回の森友・加計問題は、我々国民こそが大いに反省すべき事案なのかもしれない。
 末筆ながら、本件でお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。