会報誌(DDKだより)

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2015年11月発行 第258号 DDKだより

巻頭:ステーツマンとポリティシャン


亀井 賢伍

標題は、62年前、私が受けた入社試験の作文の題です。あれこれの宰相を念頭に、政治家と政治屋の違いを、事績、逸話などを追いながらまとめました。昔の話をもちだしたには訳があります。今年9月参院安保法制特別委員会・中央公聴会で公述人として意見陳述された浜田邦夫元最高裁判事の発言の中に、同じ言葉を見付けたからです。   
 浜田氏は、ポリティシャンは目の前にある自分や関係ある人の利益を優先する。ステーツマンは国家百年の計という、自分の孫子の代の社会の在り方を心して政治を行う者、と述べました。同感です。

 この夏以降、安保関連法(案)に反対する行動が空前の規模と速度で列島に広がりました。注目すべきは若い人やママさんたちの参加でした。
 “近頃の若いもんは”という繰り言は、いつの時代にも、どこの国でもあったと言われています。私も、戦後の民主教育は何だったのか、憲法の精神はどこに、と半ば悲観的になることが時折ありました。一面的でした。
 多様な人々が主権者=市民として、組織でなく個人の立場から、立憲主義、民主主義の理念をもって、さまざまな形態で異議申し立てしました。
 背景にSNSの普及がありました。いずれにせよ希望のもてる現象です。

 安保関連法成立で米国との約束を果たした安倍首相は、そのあと国連で面を上げて、次は経済、経済、経済と叫びました。私には、マネー、マネー、マネーと響きました。そして専ら目先の株価上昇を目指し策を練る姿を連想しました。経世済民(国を治め民を救う)の志は感じられませんでした。

 小選挙区制と世襲による国会議員の質の劣化がポリティシャンの専横を許しています。今回立ち上がった民は、これからの選挙で、ステーツマンを選ばなくてはなりません。そうしないと、国民主権の政治はもとより、株価よりくらし優先の経済再生も遠のいてしまいます。