会報誌(DDKだより)

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2015年04月発行 第251号 DDKだより

巻頭:知られていない事実

亀井 賢伍

半世紀前、北九州の職場に、嘗て旧満州の銀行に勤めていた先輩がいました。折々歴史・社会の問題について語り合い、転勤してからも時おり文通する間柄でした。この先輩がシベリアに抑留されていたことを、4年前新聞紙上で知りました。初耳でした。終戦間際、ハルピンで召集され、戦後3年間極寒の地で労働に従事したのです。早速、お宅を訪ね、積もる話を伺いました。引き揚げ船が着いた舞鶴港でうけとった「帰還者諸君を迎える」と題するビラをみて当時の世相を回想しました。

 話は変わりますが、この後すぐ、シベリア抑留者団体の幹部が、郷里山形にお住いの兄さんが自分と同じシベリア抑留者だったことを、戦後50年たって知ったという新聞記事を読みました。戦後の一時期、時の為政者の意向、一部の帰還者の言動もあって「シベリア帰り」が、危険人物視されたこともあり「秘密」にするようになったのです。俄かには信じがたいような事実ですが、さきの先輩の例もあり納得できました。

 今年になって、弟が、広島の地方紙で被爆体験を語っているのを知り驚きました。原爆投下の翌日、学校の指示で、市内に救援に入り、死体を運んだ辛い体験談でした。兄弟間で、意識して隠したわけではないのですが、私はなぜか全く知らなかったのです。連絡のツール、習慣がなかった時代背景もあるでしょうが、放射能はうつるという噂もあり互いに詮索しない空気があったようです。

 最近、映画「望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」を観ました。重要な主題、くみ取るべき教訓は別にありますが、この世で明かしておきたい過去の「秘密」も描かれていました。
 今年は戦後70年です。戦争を知る世代は少なくなりました。加害、被害を問わず今だから話せる話、どうしても語っておきたい事実、明らかにしておきたい真実が眠っている筈です。「現在に盲目にならないために」も、戦争体験の継承が必要です。