会報誌(DDKだより)

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2015年01月発行 第248号 DDKだより

巻頭言:『黙っていないで立ち上がれ』



河原 八洋

新年あけましておめでとうございます。
組合員のみなさま方には、良いお年をお迎えのこととお喜びを申し上げます。
 私は昨年9月3日、川崎市産業振興会館で行われた社会連帯機構のシンポジュームで、城南信金吉原理事長やパルシステムの山本理事長と共にパネラーをさせて頂きました。その基調講演は菅原文太さんで「黙っていないで立ち上がれ」はその時の表題です。それからわずか3ヶ月、菅原文太さんは突然亡くなられました。私たちは昨年暮れに、高倉健さん、菅原文太さんの偉大な俳優を失いました。お二人共仕事を通して表現してきたことを晩年開花させ、命尽きるまで世に問う活動を続けて来られました。心を揺さぶられた私たちは、そのバトンをしっかりと受け取らなければなりません。
 ご冥福をお祈りするとともに、当日話された内容を皆さんに伝える事が、供養だと思い紹介します。
 文太さんは昭和8年に生まれてから13年間、悲劇と苦しみの暗い戦争の中で少年時代を過ごしました。そのことが生涯を通しての戦争反対の姿勢に結びついています。戦争を起こさない為には、憲法9条を守り抜く事であり、集団的自衛権などの憲法解釈の歪曲に反対していく事である。来年(27年)が大きなヤマを向かえると思うので立ち上がれ、と見通しまで述べました。
 高校の1年後輩である憲法学者の樋口陽一さんとは親しく、戦後憲法が策定されるまでの経過を、81歳とは思えない記憶力で話されました。現憲法は終戦を前後して、憲法研究会で森戸辰雄、鈴木安蔵、高野岩三郎らが何回も協議して全員一致で国やGHQに具申したもので、決して他国から押し付けられたものではない。れっきとした誇るべき自主憲法である。と90分に渡って話されました。
 特攻隊志願兵だった城山三郎さんも『戦争で得たものは憲法だけだ』とおっしゃっています。
 後で聞いた話ですが、『仁義なき戦い・代理戦争などは』深作欣二監督が反戦映画として作ったものだそうです。
 総選挙が終わりました。
 集団的自衛権の拡大を主張する安倍総理や、菅官房長官は、遊説では米軍基地の85%が集中し、集団的自衛権が行使されれば、一番に攻撃対象と成る沖縄には、一度も行きませんでした。結果沖縄では知事選に続き全国に無い結果となりました。今後この結果が大きなインパクトを与える事と思います。
 組合員の皆様にとって今年が良いお年になるようお祈り申し上げます。
 黙っていないで立ち上がれ。