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会報誌(DDKだより)

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2014年08月発行 第243号 DDKだより


巻頭言:疎開工場建設の謎


亀井 賢伍

1944年、中学2年の秋から、勤労動員に通年出動しました。行き先は、広島市内観音地先の三菱重工業です。“月月火水木金金”の歌詞どおり殆ど休みはありませんでした。「学徒動員の歌」(注)に使命感をかきたてられながら鋳物工場で、手りゅう弾を作っていました。

 45年6月ごろ、三菱重工業では、郊外の宮内村(現廿日市市)の谷間に疎開工場を建設することになりました。私たち3年生がその建設作業に回されました。通勤の便も悪く、屋外での土木作業です。「貧乏くじ」をひいたと周囲から同情されたものです。事実炎天下でのモッコ担ぎは苦行でした。しかし、それが、後日幸いしたわけです。まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」です。

 あの頃は、いや、戦後もしばらく、疎開工場は爆撃を避けるためだったと思い込んでいました。そのうち段々と、疑問が湧いてきました。建設が始まったのは、すでに敗戦は決定的で「終戦工作」が行われていた時期です。国家権力と密着した大軍需産業の三菱が、そういう情報をつかんでいなかったとは信じ難い。本社上層部が知っていても、地方の工場には情報が流されなかったのか。でも当時の所長は、N氏で、戦後、社長になった程の人物だ、全然情報が入らなかった、とは考えられない。とすると、あの、工場建設の真の目的は何だったのか。謎は深まるばかりでした。真相究明を企図したこともあります。

 ところで、昨年末の特定秘密保護法の成立を契機に、戦前・戦中の歴史を改めて調べると、軍事機密・国家機密を保護する強力な仕組みが存在していたことがわかりました。新憲法下での、情報公開状況と大きく違っていたことを再確認しました。尤も当時の三菱・広島の現場がどの程度情報をもっていたかは依然不明です。
 ともあれ、いまは、疎開工場の謎ときより、あの暗い時代に逆戻りさせないことにこそ注力しなくてはならないと考えています。

(注)学徒動員の歌
「あゝ紅の血は燃ゆる」の1節
後につづけと兄の声 今こそ筆をなげうちて  
勝利ゆるがぬ生産に 勇みたちたるつわものぞ あゝ 紅の血は燃ゆる
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