会報誌(DDKだより)

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2011年12月発行 第211号 DDKだより

巻頭言:過ちを繰り返さないために


亀井 賢伍

被爆者として内部被曝の怖さを知っていながら安全神話に眠らされて、原発を容認してきたことの反省の念をさきの本欄で述べました。
その後、多くの被爆者や原水爆禁止運動の担い手が原子力の「平和利用」をむしろ肯定的に容認してきた経過を知りました。遺族は亡くなった者の死に意味を持たせたい、生き残った者は自分の惨苦の生は無駄ではなかったと思いたいものです。原子力が人類の幸福と繁栄に役立つというキャンペーンが始まると被爆者がそこに救いを求めた心情は理解できます。こうして「『核兵器=死滅』/『原子力=生命』という二律背反論に埋没」していきました。
背景には、米国主導の系統的で周到な世論工作(心理=洗脳作戦)がありました。第1回原水爆禁止世界大会が開かれた1955年以降、東京の日比谷公園を皮きりに名古屋、京都、大阪、広島・・・と「原子力平和利用博覧会」が開催されました。広島の博覧会は56年5月~6月に、平和公園内の平和記念資料館で開催され入場者は11万人近くに達しました。ここでは医療分野への利用がとくに強調されました。私は、社会人3年目で市内中心部に勤務していましたが、お恥ずかしいことに記憶していません。55年の新聞週間の標語は「新聞は世界平和の原子力」でした。
以上の叙述は、言い訳のためではありません。メディアを巻き込んだ世論誘導の恐るべき効果に目を向けてほしいからです。物事を自分の頭で深く考えなくてはならないと自戒しています。
ともあれ、フクシマで原発事故を起こしてしまいました。原爆慰霊碑の誓いを守れなかったことは生涯の痛恨事です。
なんでも制御できるという人間の奢りを捨て、科学技術の限界をわきまえ身の丈に合った生活をする社会に一大転換すべきときです。