会報誌(DDKだより)

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2011年07月発行 第206号 DDKだより

巻頭言:原発事故で思うこと


亀井 賢伍

“もはやヒバクシャはヒロシマ・ナガサキの被爆者だけではない。何百回ものビキニの死の灰の後に原発の内と外のヒバクシャが続いている” 若狭の宗教者の詩の一節です。いまから33年前の作です。慧眼に脱帽です。
“広島での被爆者として今まで原子力の被害者であるとばかり思っていたが今回の福島原発を容認してきた自分は加害者の一人であることに気づき忸怩たる思いである” 都内の生化学者の述懐です。真摯さにうたれます。
お二方とも無縁の人でないだけに原発問題での己の不明を恥じ自省している次第です。
核被害の恐ろしさは低線量放射線の内部被曝にあります。核抑止力の信奉者や原発推進論者はこのことをひた隠しにしています。唯一の被爆国にふさわしい十全の対策を切望します。

原発は、米国の「要請」をうけ国策として推し進めてきました。国の責任が大きいことは言うまでもありませんが、地域独占企業としての東京電力の企業文化にも触れないわけにはいきません。   
内部では、経営方針に批判的な労働者に対し賃金差別や人権侵害を行い裁判で争ったことがあります。もの言えぬ風土、隠ぺい体質は今回の危機の中での現場と本社のやりとりでも見てとれました。
外に対しては財界の中枢として金の力も使って批判勢力を排除し「原子力ムラ」をつくり「安全神話」をふりまいてきました。原発建設反対住民に対する口封じ工作もよく知られています。下請け、孫請け作業員の労働環境は前近代的でさえあります。
こうした体質が事故発生、被害増幅の一因になっていないでしょうか。