会報誌(DDKだより)

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1998年05月発行 第48号 DDKだより

巻頭言:市民が時代の担い手

専務理事  石田 仁       
     経営コンサルタント・社会保険労務士
     東京都中小企業家同友会理事
     同 専門家グループ部会幹事長
     東京都労働経済局 労働講座講師
     著書『就業規則で会社がかわる』
     (労働旬報社)ほか論文多数

  
 


 民法施行以来100年になると言う(明治31年施行)。我々の日常の生活ではそれこそ密接に関連し、民法なくしては社会生活が営めないといっても過言ではない。にもかかわらず「人気投票」では憲法に負けてしまう。なぜだろう。
 ひとつの大きな理由は日本では、一般に法や法律にあまり関心が持たれず、社会で実際に行なわれている規範がむしろ法律ではなく、義理、人情、信義といったものが主流をなしているからだろうか。国民は法律に頼らず、問題を円満に解決する術をいつのまにか会得してしまっているのかもしれない。
 そもそも、民法は自由で対等の私人間を予定し、所有と契約自由の原則や過失責任の原則により商取引を保証する一般法である。それはまた欧米の人権宣言に由来する。謂わば、市民社会の法である。しかし、「殖産興業」「富国強兵」の近代化政策は不幸にも民法が予定する自由・対等の市民社会形成を遅らせてしまったと言われている。
 果たして、第二次世界大戦後、新しく国家体制も代わり、デモクラシーが普及するにつれ、民法の原則も「生きる」はずであった。が、現在に至るまで、大企業と国との癒着は断たれる様子もない。体制における国家への依存意識は社会的弱者のみならず、強者にさえ見ることができるからだ。民法が予定する自由、対等、平等の市民社会が充分育まれなかった所以でもある。
 戦後最大の不況とも言われ、経済構造が大きく変動をむかえている今日、大量生産大量消費の経済社会が問い直され、来たるべき市民社会の到来も間近となっている。ボランティア活動などを行なう民間の非営利団体(NPO)に法人格を与える動きはその例証であろう。
 民法に息吹を与えるかどうかはまさに、その担い手(市民)のイニシアチブによるところ大と言わねばなるまい。