会報誌(DDKだより)

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2009年07月発行 第182号 DDKだより

巻頭言:隗から始めよう


石田 仁

「化粧道具を出して化粧を済ませ、次に携帯電話を取り出しメールを確認。そして、返信メールを一本指入力ですばやく発信し、携帯音楽プレーヤーを聞きながら、文庫本を読む」、「携帯電話で順番に複数のオフィスに電話して、いくつもの用事を済ませる。普通の大きさの声なので、その人の氏名や用件提出期限まで、周囲の人に聞こえてくる。この国では、自動音声認識システムを使ったサービス検索が無料で利用できる」。いずれも電車内での出来事。順に日本、米国の様子である(「デジタル社会はなぜ生きにくい」岩波新書、徳田雄洋著)。お国柄で、周囲の許容範囲も違っているが、便利さには抗えない様子である。ただ、私自身は、この事態を素直には受け入れられない。
収集日が特定されているのに、平気で電化製品、布団の類が捨てられる。町会の人が、「これはだめですよ」と注意しようものなら、「ふざけんな」とやり返してくる。怖くて深追いできないのである。他にも、よく見かけ気になることがある。出張の時やお年寄り、女性が使うキャリーバックを若者がビジネス用に使い始めた。そのままでも場所をとるが、駅の構内を闊歩されると、後ろにいる人は1メートルの間隔をあけなければぶつかってしまう。リュックを背負って満員電車に乗り込むビジネスマンの行動にも言える。自分は誰にも迷惑をかけていないかのようだ。周りを気にせず、いつも自分が中心、自分が楽、自分が気持ちいい。何とも身勝手なのである。
ルール違反のゴミ捨てや満員電車で他人の迷惑を顧みない行動を多少なりとも慎むことはできないものだろうか。総デジタル化の中で、“他人に迷惑をかけてはいけない”とする普遍的な精神文化が希薄になり、消えかかっていくのが気にかかる。
まず、隗から始める。それぞれ自分が率先し、手本となす。その労苦を惜しまない無数の行為が周りを変える。
軽々しくは言えないが、この国では、人の礎となる「教育」が問われているのではないか。