会報誌(DDKだより)

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2003年08月発行 第111号 DDKだより

巻頭言:人々が助け合って生きていることの証し

石田 仁


 あまりにも衝撃的なニュースに驚かされる。長崎・幼児殺害事件と渋谷・少女監禁事件。前者については、ともかく刑法で罰せられないのは如何なものかという加害者厳罰論が多い。そんな中でも「大人がこんだけまわりにいて、助けてあげられなくて本当にごめんね。前の長崎はみんなの顔が、お互いに見えとった」という教師の手紙には心を打たれる。地域で生きる仲間としての視点が暖かい。後者について、騙された被害者たる少女達にも「問題」があるとする論調が悲しい。いずれも、何故、事件が発生したのかについてその原因分析をして見せるものの、どうしたら類似事件を防止できるかについては、歯切れが悪い。 
 くしくも鴻池青少年担当大臣は「親は市中引き回しのうえ打ち首」、「少女も加害者であるのか、被害者であるのかわからない」とノー天気な暴言をくり返し、公人としての任務を放棄してしまった。他方、森前首相は「両親、国家、地域社会、家族に対し責任を持つことを教えない、教わらない人たちが大人になっている。そこで生まれ、育てられた子供たちは、もっと悪くなるのは当たり前ではないか。そういう意味で、教育基本法の改正をやれ」と教育問題にすりかえている。 
 この国の事態の解決が容易でないことはわかる。人が人として安心して豊かに暮らすにはどうしたらいいのかが投げかけられているからである。切り詰め生活による将来不安、教育や地域の「崩壊」、その家庭への投影。マスコミや企業のあり方等様々な事柄が密接に絡み合っているからだ。それを一つ一つほぐしていく作業が解決の道程となろう。 
 小学2年の少女が習い事に行くバスに間違えて乗り込んでしまったところ、その運転手さんからタクシー代をもらい、更に不足分は乗せてもらったタクシーの運転手さんがオマケしてくれ、やっとの思いで間に合ったという母親の投書が寄せられている(21日付「朝日」)。大人も捨てたものではないよと教えてくれているような気がして救われる。同じことは「イラク特措法案」反対の要望書を全議員と閣僚に送った元防衛庁局長で現新潟県加茂市長 小池清彦氏の英断にもみてとれる。 
 まず、隗から始めようと思う。