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会報誌(DDKだより)

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2002年03月発行 第94号 DDKだより


巻頭言:偽りのパフォーマンス

専務理事  石田 仁       

 

 公園、電車の中、階段、路上等所かまわず、座り込んでしまう若者が多い。意図ははっきりしないが、せいぜいかったるいからという理由であろう。ただ、まわりに対する配慮は感じられない。むしろ攻撃的所作と言えなくもない。とくに、電車の乗降口に座り込んでいる場合は迷惑を通り越し、危険でもある。朝礼、卒業式、成人式等少し前だったら、ある程度の立ち姿勢は我慢した。今はそれができない若者がいる。また、姿勢をくずしても、まわりは注意もしない。家族間でもしかりである。そんな環境で長く暮らしていれば、「くずす」ことはいとも簡単なことである。こんな自分に負けるパフォーマンスはほめられたものではない。
 似たようなことは政治の世界でも見かける。小泉首相の発言には接続語がほとんどない。「あなたの構造改革は何も成功していないのではないか」と野党に迫られても、首相曰く「構造改革なくして景気回復はない」と結論的に答える。また、アフガニスタン問題をめぐって「自衛隊の海外派遣は憲法違反ではないか」と追及されても「テロは世界共通の敵だ。自衛隊を派遣するのは当然の事」とまたしも結論的に答える。これでは議論にならない。なぜ、そういう結論になるのか事実や法律、憲法に照らし合わせた論理的詰めが一切ないからである。これが小泉首相のパフォーマンス。まさに説明責任の放棄である。憲法を遵守し法律を誠実に運用する内閣の長たる立場からはゆゆしき事態といわざるを得ない。
 パフォーマンスを広辞苑で引くと「既成芸術の枠からはずれた、身体的動作・音響などによって行う芸術表現。一回的・偶然的手法で、視覚・聴覚・運動感覚などに多面的に働きかけることが多い。ハプニングなども含み、70年代末から一般化」と書いてある。一般には自己表現と解釈されているようだ。しかし自己表現であれば何でも許されることにはならない。他人に多大な迷惑をかけたり、国民に何等の理由も示さない小泉首相の言動は、受忍限度を超えた偽りのパフォーマンスと言えるであろう。 

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