総選挙前で何やら騒々しい。お盆休みに入って突然、田舎の友人から電話をもらう。
 「今度は郵政賛成派に入れる。改革をしない政党に入れたら、今までの改革が無駄になってしまう。対立する候補者を蹴落とすのは当たり前」と。彼の主張は概ね、「小泉は一貫して改革の旗を掲げてきた=参議院で否決されても最後まで男らしく振る舞った=見所のある奴だ」に尽きる。
 郵政民営化の本質は過疎の郵便局が消滅する不便さに留まらず、340兆円の郵貯や簡保の資金運用を米国資本がおねだりしたということ。現実には国債の大量引き受け原資になっていることを告げても大して動じないのである。まさに、情緒的支持に回ったのである。 
 参議院で郵政法案が否決されたことによる奇妙な「衆議院の解散」であるから本来なら否決された与党側の戦意喪失が常識。内閣不信任とみなされ、内閣が総辞職して当たり前だからである。   
 しかし、実際は元気そのものである。郵政反対派を一人残らず徹底的に蹴落とす「刺客」戦術にマスコミがこぞって賞賛の声をあげているから。最近のマスコミは「凶器」=「狂気」そのもの。一体誰の為に報道しているのだろうか気になって仕方がない。
 公示前なら、何をやってもいいというのではマスコミとは言えない。元来、普段から公正中立(特に権力から)の立場で報道するのがマスコミ。テレビの報道番組は解散後2週目を過ぎたころから、“小泉に逆らう輩は「報復」されるぞ、黙って降参しろ”と言わんばかりの報道ぶりである。東京10区の自民党の内紛で誰が公認されるかはその政党の内部問題にすぎない。だが、延々と長い時間、公共電波を使い、与党公認候補の宣伝が湯水の如く垂れ流される。こんな馬鹿なことがあっていいものだろうか。
 見識ある視聴者は見抜かなくてはならない。今回の投票こそは、しっかり「誰が」嘘つきなのか見極めて行動しようと思う。無駄遣いを減らしどのように年金改革をするのか、国債30兆円以下にする公約はどうなったのか、郵政民営化で郵便局が減り、何が便利になるのか、戦犯を合祀する靖国神社参拝になぜこだわるのか等々。
 狂気のマスコミに対し慧眼をもって対処しよう。
 
マスコミの「狂気」に惑わされない

 石田 仁